富士見塚
富士見塚については、その地名碑に「夕映えの影冨士を見るべしと善男善女つどう。虚空蔵堂境内の冨士講塚に因んで名づく。」とその由来が刻まれています。
富士見塚は、平成2年、公園の南西隅のトンボ池を試掘した際の土を中山台に盛り上げて築いた塚で、高さは渡良瀬川の堤防と同じ標高22m、浅間山、そして、赤城、妙義、榛名の上毛三山、北側には日光連山を、そして東に筑波を望むべく築かれたのです。現在は木々も大きく育ち、冨士を望むことも出来ないが、富士見塚に上がれば、公園の緑や水の大地が、そのまま外回りに繋がり、さらにずーっと地平にのびた台地がめくれあがって蒼穹をなし、天と地開かれた風景を堪能することができます。子どもたちは頂上に上り、時には雄叫びをあげ、斜面を駆けまわり芝滑りに興じるなど無限の体力をいかんなく発揮しています。そして、冬、雪がふれば、ソリすべりに興じる親子が現れ、元旦には祝日を拝する人が集まります。公園のほぼ中央にそびえる富士見塚は、既に、市民の記憶においても風景の上でも公園のシンボル的存在となっているように思います。
ところで、虚空蔵堂境内の冨士見講塚とは、古河市史には、虚空蔵菩薩前古墳と古墳名がつけられ、「墳丘は径20~30m程度の円墳状を呈している。中世の塚の可能性もあるが、一応、古墳と考えておくことにする。」と記されています。