元屋敷の桃林
「元屋敷の桃林」については、その地名碑に「旧字名「元屋敷」を中心に古くから古河観桃会で知られた桃林を復元した。」とその由来が刻まれています。
桃林については、江戸初期に、徳川幕府の要職にあった土井利勝が古河城主となった時に、古河領内で薪が不足していることを知り、薪不足の対策として、江戸市内の子供たちに桃の実を集めさせ古河に送り、野畑や農家の屋敷周りに、薪や食料にもなる桃を植えさせたのが古河桃林の起源と言われています。
その後も鴻巣周辺の村々に桃の木は植え継がれ、江戸後期には、古河藩士も春には家族で花見に出かけるなど行楽地となっていました。
明治末期には、古河実業協会により盛大に観桃会が催され、臨時列車がでるなど面内外に知られた桃の名所となっていました。その後大正期に発生した炭素病により、万を数えた桃も昭和初期には激減したとのことです。
なお、小字名「元屋敷」とは、遺水柏翆著「古河通史」によると、江戸初期に古街道にかわって日光街道が整備された。その際に鴻巣にあった足軽屋敷も原町に移転し旧屋敷の地名から鴻巣組と名乗ったのです。そしてその鴻巣の足軽屋敷の跡地が「元屋敷」として小字名になったとのことです。