胞衣松
胞衣松については、その地名碑の裏面に「昔、古城跡の天神に胞衣の松ありしとか。人々はこれを敬って赤子の成長を祈願す。平成七年、松の苗を下す。銘木の遺徳ここに蘇らんとす。」その由来が地名碑に刻まれています。
江戸時代、小出重固の著わした古河の歴史書「古河志」には、十念寺の裏山の南西に老松の大木が2本あり、一本は沼の岸にあり、もう一本は三、四間隔てた草むらの中にある。だが、胞衣松とのことだけは承知しているが、その来歴を知る者はいない。ただ考えられることは、五代古河公方義氏の子・氏姫と喜連川頼氏との子・義親も孫の尊信も共にこの地で生まれているので、きっとこの両公の胞衣を埋め、その印に松の木を植えたということであろう。と記述があります。
胞衣松のあった場所がはっきりとしているわけではないが、鷹見泉石の鴻巣村絵地図に樹形をも描写したかのような胞衣松が記載されているので、その絵地図を参考に、公方様の森の天神橋の橋詰の南側に胞衣松を植え「銘木の遺徳を蘇らん」としたものです。