筑波見の丘
「筑波見の丘」については、地名碑に「この丘の頂に立つと、天神橋の裏に、筑波山を望むことができる。」とその由来が刻まれています。
「筑波見の丘」は立崎野の西側に築かれた低い丘で、この丘からは、芝生広場、公方様の森、馬蹄形の御所沼の姿、駒ケ崎の森、新久田の森などが見渡せます。そして、筑波山は、公園の木々がまだ小さかった頃は季節に関係なく見えたものですが、今は、木々も大きくなり、葉を落とした冬枯れ時に、天神橋の斜張橋の支柱の右脇にその姿がかろうじて現します。
古河市民にとって、筑波山は、最も親しみのある山で、江戸時代には、古河城に涼み櫓より望む筑波山が桃林超しに象徴的に描かれました。古河甚句には「西に富士山東をみれば夫婦姿の筑波の嶺よ」と、また中村真一郎作詞の古河一中の校歌には「千年の歴史を映し遠く光る筑波の空」とうたわれるなど、市内の校歌にも数多く登場するふるさと古河には欠かせない山なのです。古河から望むのびやかな尾根の美しい姿の筑波山には、万葉集に最も多く詠われた山で、枕詞を持つ古河との悠久の時間のつながりを無意識のうちにも感じます。そんな時空を超えて繋がるふるさとの山を望むために築かれたのが「筑波見の丘」なのです。